あっと驚くご先祖の知恵~三内丸山遺跡の超土木技術~
今回は、土木にまつわる「歴史」のお話をひとつご紹介していきます。
青森県に位置する縄文遺跡、三内丸山遺跡の高い土木技術についてです。
三内丸山遺跡は、日本でも屈指の縄文遺跡として有名ですが
いまからおよそ5500年前から4000年前までのあいだの約1500年間
途切れることなく営まれた大規模な「村」の跡です。
三内丸山遺跡を一躍、全国的に有名にしたのは
1994年7月の大型掘立柱構造物の跡が発掘されたことでした。
この発掘を契機として、すでに着工されていた野球場の建設が急遽中止となり
三内丸山遺跡は、永久保存されることになったからです。
この大型掘立柱構造物は、深さが約2.2mの6個の柱穴が3個ずつ。
それが2列に並んだものです。かなりの大きさです。
柱穴の底からは、直径約1メートルの栗材の柱跡も発見されました。
この本柱の底部の形は、石斧で整えられ
柱の周囲は、焦がして腐りにくくなるように加工が施されています。
現場を訪れる人を圧倒させるのは、まずその「大きさ」ですが
そのほかにも、次のような土木技術が用いられていたことにもあります。
・すべての柱が4.2mの等間隔で立っていること。
・すべての柱を内側に角度を2度傾けることによって
互いに倒れにくくした「内結び」の技法が使われていたこと。
・枠を作り、少しづつ土砂を混ぜて固める「版築(はんちく)」の技法を使った形跡があること。
そして、この大型掘立柱を復元するため、運ばれてきた栗の巨木。
その大きさは、柱1本の重量が約8トン。長さは17メートル、直径1メートル。
組立には、数基の大型クレーンを使用しながら、復元工事がおこなわれました。
クレーンも鉄骨もなかった時代に
人力と縄だけで、どのようにして巨大な掘立柱構造物を立てられたのでしょうか。
栗の巨木を建て並べた事実は、4000年後の私たちの目の前にあるわけです。
縄文時代に、巨木を使いこなす知恵と高い技術力が確立されていたことに、驚くことばかりです。
2021.05.20